ネットの記事は不特定多数の総意か?①

どうも、どうもどうも。ワタナベです。

 

僕は以前、悩みがあった時によく自己啓発本を読んでいました。仕事での悩み、育児での悩み、人間関係の悩み、それぞれその解決方法なんかが記されていたりしました。今は一切読みません。

 

自分が辛くなるだけだったから。

 

そういう本に書かれている内容は、だいたい僕が日常の中で実践していることと真逆の方法論だったり真逆の考え方ばっかりでした。書き方こそ違えど異口同音でした。読めば読むほど、できていない自分がダメに思えてしまうのでした。滅入ってしまうのです。ポジティブな人ならそれを受け止めて建設的に行動できると思いますが、あいにく僕はそういうタイプではありません。

 

なんで自分の貴重な時間を使って、わざわざ自分を否定するような本を読まなきゃならないのだろうか?

 

そう考えて読むのをやめました。

 

そもそも、そういった本に書いてある内容は本当に普遍的で万人に共通の方法なのでしょうか?勿論答えはノーですが、それならこういった本はどんな人を対象として書かれているのでしょうか?

 

答えは簡単で、共通の思考を共有する不特定多数の誰かです。10人の目の前にりんごを置いた時に、それがりんごだと答える9人に向けて書かれているわけで、それをみかんだと答える1人に向けては書かれていません。共通の価値観、常識、考え方をしているであろうこの世の中の不特定多数の誰かがその対象です。だから、僕のような残り1人に入ってしまう人間にとっては屁の役にもたちません。

 

そして僕は考えるのです。

 

それって本当にこの世の中の不特定多数に通じる方法なの?と。

 

②に続く