やり口が気にくわない

今日は本当に嫌な気分のワタナベです。

 

以前ブログに書いたウザい客からまた問い合わせがありました。

 

いつもそうなのですが、その人からの問い合わせのメール文面は要領を得ません。なので、こちらとしては具体的な部分を確認しながら進めたいのですが、なんせ情報をくれません。仕方なく上司に相談して返事を返すと、そういうことは聞いていないというお叱りのメールが。

 

仕方なく頑張って詳しく聞いてみると、その人も上司に言われたことを理解しないままこちらに投げていたことが分かりました。

 

馬鹿かよという話です。それはあんたの問題じゃない。答えられないこちらは悪くないでしょ。しかし、そいつと僕とは犬猿の仲なので、相手としてはこちらがうっかりやってしまうのを待ち構えて罠をはっていたというわけです。そして僕はまんまと引っかかってしまいました。悔しいです。

 

なんてやり口の汚いやつでしょう。そういえば、人をネチネチと貶すのが好きそうな顔をしていました。

 

とにかくやり口が気にくわない。こちらが下請けなのをいいことに調子こいたことを言ってくるのには吐き気がします。

 

明日しつこく同じようなことをしてくるようであれば今度こそ堪忍袋の緒がキレるでしょう。

 

やってやるぜ!

笑顔は時として

ワタナベです。今日は朝から雨でスッキリしない感じでした。あー嫌だ。

 

笑顔というのは人と人とがコミュニケーションをとる上で大事な要素だと思います。例えば笑顔は仕事の場面で人間関係の潤滑油になります。営業マンなら仏頂面の人より笑顔の人の方が良い印象を受けますし、接客業ならなおさら笑顔は大切です。

 

しかし、笑顔はいついかなる時も万能なわけではありません。それなのに笑顔は万能の如く様々な場面で使用してくる人がいます。

 

最近1番イラッとしたのは、人が怒ってることを笑顔でやり過ごそうとしている人を見た時です。その人は割と真剣に怒ってるようでしたが、受け手の人は「アハ、すいません」みたいな感じでした。明らかに真剣味が足りないようです。

 

多分、笑顔というものにはマイナスの感情を無かったことにする力があると思います。怒りや悲しみ、イラつきといったマイナスの感情は相手に笑顔をされると行き場を無くしてしまいます。ぶつけ先が定かでは無くなってしまうからです。

 

それってつまり、そういうマイナスの感情を受けたくないがための防御反応です。そして、そういう手段を使う人を見ると僕はすごく嫌悪感を覚えます。

 

怒りや悲しみ等のマイナスの感情を人にぶつける時、ぶつける人はいつも真剣だと思います。そういったマイナスの感情を人にぶつける以上、それによって関係が悪化したり周りからの評価が下がったりする覚悟をしているからです。自分でやったことの責任を取れる人じゃないとマイナスの感情を人にぶつけるはできないし、すべきじゃないと思います。

 

なので、笑顔でそれをかわすことはすごく失礼なことです。人を怒らせたり悲しませたりイラつかせたりするのには、何かしらその人にも原因があるわけなので、相手からぶつけられる感情をかわすのは卑怯です。誠意が足りないとも言えるでしょう。

 

だから、いわゆる人間関係において飄々とした人って嫌いです。そんだけ対人関係に対しての責任をのらりくらりとかわせば、そりゃ飄々とするよねって思います。全てに対して自分の責任を感じる必要はありませんが、せめて自分の対人関係にくらいは責任をもたなきゃと思うのです。

 

どんな時も笑顔の人は信頼できないってことです。

怒る時は怒る

はー、ワタナベです。今日はひどく嫌な気分です。

 

会社の後輩をすっごい怒ってしまいました。

 

理由や経緯は彼のプライバシーに関わるので伏せます。ただ、僕自身としては嫌な気分にはなりましたが必要なことだと思っています。

 

僕はそんなに頻繁にではないにせよ、会社でも怒る時は怒るようにしています。だから、仮に相手が先輩であろうと言うことは言うし、怒る時は怒ります。

 

昔いた会社のとある先輩が「会社でキレたらおしまいだよ」と言っていました。それはつまり「感情的になること」は社会的に未熟な人間のすることだという前時代の価値観に基づく意見です。

 

僕はこれからの世の中は人の気持ちが中心になっていくと思っています。前時代、特に日本においては「我慢する」ということが美徳でした。それは物質的な我慢だけではなく、感情を表現するのを我慢するということでもありました。しかし、その弊害は確実に僕らの世代にしわ寄せとしてやってきています。

 

前時代の人達が感情を我慢してきたことの弊害は

・本当は早く家に帰りたいのに我慢して残業して仕事をしてきたため現在の会社文化になっている

・社会で今までの自分の感情を出せなかった分、自分より下の世代に対して横暴な態度をとる

・本当はできないような仕事内容なのに引き受けてしまうので結果として部下に過負荷をかけている

等のことで僕らの世代にしわ寄せされています。それに加え、感情を我慢するとストレスにつながり体調を壊します。自分の中に悶々とした感情を抱えたままでいることは悪いことなのです。

 

これは僕の奥さんとよく話すことです。だから僕たち夫婦はいつもそれぞれの気持ちを大切にします。喧嘩した時も、社会的にはこうだと言うのは極力控え(僕は今だに社会的にはという言い回しを使いがちなので気をつけるようにしています)、自分はこう思うから嫌だという自分の気持ち中心で言い合うようにしています。

 

だから僕はこれからも会社だろうが怒る時は怒ります。感情をさらけ出すのが恥ずかしいことという時代は終わったのです。いずれそれについてもっと詳しく自分の考えを書いてみようと思っています。

祝書き込み30件!僕ってすごい!

ワタナベです。

 

今日は自分を褒めようと思います。

 

ブログの書き込みが30件になりました。自慢じゃありませんが、続けることが苦手です。飽きっぽくてインスタもすぐやめました。あと、お酒を毎日飲まないと決めてすぐやめました。とにかく意志が弱い。それが僕です。

 

そんな僕が30件、書き込みを続けることができました。なんてすごいことでしょう!

 

きっと普通の人から見たらたいしたことじゃないと思います。だけど僕にとってはとても嬉しいことなのです。だって、根気も根性も無い僕が30件もブログを書けたのです。

 

よくぞ頑張ったね!と自分に言いたいです。

 

ブログは僕にとって心の整理をする場所です。誰も読んでくれなくても、書き込むことに意味があります。自分の心の中で日々混沌としていた考え、鬱積していた感情、不満や怒りなんかが文章にするとハッキリとしてきます。可視化することで自分はこんなことを考えたり感じたりしているんだと客観的に認識できるのです。それは僕にとって飾らない等身大の自分を見つめることです。勿論、誰かが読んでくれたらとても嬉しいです。ただ、誰も読んでくれなくてもさほど気にはならないということです。

 

とにかく、30件続けることができたので次は

50件を目標にしてみようと思っておりマウス。そして50件書き込みできたらまた自分を褒めてやりたいと思いマッスル。

できない理由があるのよ

雨、雨、雨。雨男のワタナベです。

 

僕は雨男です。でも雨は大嫌いです。僕の奥さんは晴れ女です。ほんとに羨ましいです。

 

さて、ロバート・キヨサキという人がいます。「金持ち父さん」の著者で有名なあの人です。僕も奥さんも彼の本のファンなので、色々読んでいるところです。読んでいると実に沢山のことを学べます。彼の本には起業家としての在り方がとても詳しく載っています。お金のことを知ることがいかに大事なことかが分かります。

 

彼とその他大勢の違うところ。それは「やるかやらないか」ということで区別できます。ロバート・キヨサキはお金の勉強をして、それを実践した人です。僕を含めたその他大勢は実践できない人です。

 

数ある起業家が口を揃えて言うことは一緒です。

 

「やらない理由を探してはならない」

 

そうですよね。んなこと分かってるんです。みんな分かってるんです。僕だって分かってます。

 

でもできないんです。

 

失敗した時のリスクを考えると、怖くてできないんです。それを理由にしてしまうんです。

 

でも考えてみてください。本を出したりできる起業家は成功した人です。そこに至るまで失敗はあったかもしれませんが、結果として成功しているんです。成功した人の立場から「やらなきゃダメだ」と言っているのです。当たり前ですが、もう立ち直れないくらい失敗した人は本を書いたりしませんし、そもそも下手すりゃ死んでます。バンジージャンプして成功した人は飛ぶか迷っている人に「やった方がいい」と言うでしょう。しかし、バンジージャンプで大怪我を負って再起不能になった人はそんなこと言いません。失敗して死んだ人からも意見は聞けません。ロバート・キヨサキのような起業家の意見は、成功しているということが大前提なのです。

 

僕は「できない理由を探す」ことが悪いこととは思いません。「家族がいるから」「資金がないから」「自信がないから」等、どれも立派な「できない理由」です。

 

やればできるは正論です。僕はもうそういうのがしんどいんです。「んなことは分かってる。でもできないんじゃい!」と言いたいのです。

誰もが成功した起業家みたいに不屈の精神とバイタリティを持っているわけではないのですから。

 

だから、いつかひょっとして、ロバート・キヨサキの側に行くことがあっても僕は今の僕を肯定したいです。

 

できない理由があってもいいんです!(カビラ風)

今さらエリック・クラプトン

風邪が少しずつ治り、咳もだいぶ治まったワタナベです。

 

毎日のようにギターを弾きます。子どもが生まれてからはせいぜいアコギを弾くくらいだったのですが、最近はちゃんとアンプにつないで弾いてます。楽しくて楽しくて仕方がありません。

 

僕がギターを始めたころ、よく分からないことがありました。それは日本で有名な3大ギタリストについてです。エリック・クラプトンジミー・ペイジジェフ・ベックの3人がそれです。僕がよくわからないと思ったのはエリック・クラプトンのことです。ジミー・ペイジはレッド・ツェペリンのギタリストとして有名ですが、とにかくリフとフレージングに個性がある人です。ジェフ・ベックはギターがとにかく上手くて、様々な技法を編み出しました。

 

で、エリック・クラプトン

 

ティアーズ・イン・ヘブンとか、チェンジ・ザ・ワールドみたいなスローなバラードが有名な人って感じでした。もちろん、クリームやデレク&ザドミノスは知っていました。でも、プレイ面やフレージング面に対して、「え?俺でも弾けるけど?」みたいな「ありふれた」印象でした。だから、エリック・クラプトンの評価は僕の中でずっと低かったのです。

 

しかし!

 

最近、彼の凄さが分かりました。彼の凄さは「スタンダード」を創ったことだと思います。

 

彼がまだ若いころに参加したバンド、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズのアルバムでの彼の演奏はまさに神懸かり的です。

 

まだブルースが黒人音楽の枠で語られていた頃、彼は自分の解釈でそれを消化したギターを弾いていたのです。そして、アルバムの中で聴ける彼のギターの音、フレージング等の手法はまさに現在に通じるロックギターの「スタンダード」と言えるものです。つまり、当時にしてすでに彼は現在に通じるスタンダードを発見していたことになります。そして、今でこそ「スタンダード」と言えますが、当時としてはかなり革新的なことであったに違いありません。クラプトンが発見した手法は後世に伝えられて「スタンダード」となりましたが、逆を言えばそれまでそんなものは存在しなかったということです。それまで現在に通じるギターの音、手法は存在していなかったのです。

 

今僕が聴いてもその演奏は完全にカッコイイです。すべてのギタリストがお手本とするべき教材のようにすら感じます。当時の衝撃はきっと凄まじかったに違いありません。

 

だから、やはりエリック・クラプトンは凄いのです。今僕の中では3大ギタリストと中で一番カッコイイです。

ダメな自分でも大丈夫!

やっと1週間が終わり、帰宅の足取り軽やかなワタナベです。

 

僕には2人の息子がいます。7歳と1歳の元気な奴らです。

 

1歳の息子が最近断乳を始めました。今までは奥さんが寝る前に授乳して、夜中に息子が起きるたびに授乳していました。それをおとといから、夜中に息子が起きても授乳しないことにしたのです。

 

今までおっぱいを飲んで安心してまた眠りについていた息子は、おっぱいがもらえずに泣き叫びました。

 

そして、僕はやってしまいました。

 

眠いところを息子の泣き声で起こされた僕は、息子にめちゃくちゃキレてしまいました。朝奥さんから、半笑いで「昨日凄かったよ」と言われました。

 

でもしょうがないじゃない!

 

僕は自分で自分の機嫌が悪くなる時を知っています。お腹が空いた時と、予定通りに行かない時と、眠い時です。そのうちの1つにあてはまってしまったんだから、しょうがない!と思うようにしています。そんな自分の大人気ない未熟なところを認めてあげると、息子に対して心から優しくなれます。

 

「パパはお腹が空いた時と、予定通りに行かない時と、眠い時は機嫌悪くなっちゃうけど君のことは死ぬほど大好きだよ」と心の底から言えます。

 

だいたい父親だからといって完全無欠の存在ではないのです。ダメな部分も沢山あります。僕の場合、先程述べた他にもどうしようもないって自分で感じるところが沢山あります。でも、そんな自分のダメなところも含めて自分なのです。だから、認めてあげることはとても大切なことだと思うのです。

 

先日、とあるブログで「自分に○をつけてあげる」という記事を読みました。「自分が何を思おうが○、何を言っても○、あの人みたいになれなくても○、etc...」、要は自分のどんな部分にも○をつけてあげるということでした。僕はこの記事がとても良いなと思いました。ありのままの自分に○をつけてあげる大切さ。

 

その記事の中にこんな一文がありました。

 

「○つけられなくても、◯」

 

これを読んだ時、なんだかとても安心した気持ちがしました。

 

うまくいかない日も大丈夫だし、子どもにつらく当たってしまっても大丈夫なのです。それは自分のほんの一部分でしかないし、そんな時に自分を一番励ましてやれるのは他の誰でもなく自分自身からの肯定です。

 

ダメな自分でも大丈夫!(吉高由里子風)