祝100記事
こんにちわんこそば。ワタナベです。
ついに、本日の記事で100記事達成です。半年続けられたこともすごいです。僕は飽きっぽい人間なので、本当にすごいと自分を褒めてあげたいです。
というわけで、次からアメーバブログに移行します。
半年ブログを書いてみて分かったことがあります。
1 自分の内面吐露の目的は達成できたこと
2 自分の考えや、やりたいことが分かってきたこと
そして
3 もっとブログを自分以外の人に見て欲しいと思ったこと
です。
次のブログからは自分の考えや、行動の記録・実験をもっと記していきたいと思います。
アメーバブログは以下のアドレスになりますので、引き続きよろしくお願いいたしマッスルブラザーズ。
頑張ることは恥ずかしいことじゃない
こんばんは、ワタナベです。
今日は買い物に行ってジーンズを買いました。とても良い気分です。明日からヘビーローテーションで着用しようと思っています。
音楽をやりまくろうと決めた時、僕の中で変わった感覚があります。
それは頑張ることを恥ずかしいと思わなくなったことです。
サラリーマンの頃の僕は、案件に対していかにスマートにトラブルなく進められるかということを考えてました。そうすることがカッコいいと思っていたのです。
実際の僕は泥臭くて色々トラブルに直面してすんなり進むことなんてありませんでした。だからそんな時、自分がカッコ悪いなと思っていました。
しかし、本当に自分の好きなことをしようとすればひたすらそれにまい進するわけで、スマートにこなすとかそういったことを考えている余裕なんてないのです。だから必然的に頑張って一生懸命、泥臭くやることになります。
そんな人が恥ずかしいわけありません。
自分が心からやりたいことをやっている人はカッコいいのです。
スマートにトラブルなくなんて考えている時点でそれは好きなことではありません。
それに気づきました。
頑張ることは恥ずかしいことではなく、むしろカッコいいことなのです。
JRの謝罪アナウンス
こんにちは、ワタナベです。
サラリーマンやってたころ、僕は電車通勤をしていました。その頃よく感じていたことがあります。
JRの電車遅延の謝罪アナウンス、あれ、おかしいと思います。
すべてではなく、下のことに関するアナウンスについておかしいと思います。
1 人身事故で遅延の謝罪
→JRのせいではありません。
2 急病人救護のための遅延の謝罪
→JRのせいではありません。
3 悪天候のための遅延の謝罪
→JRのせいではありません。
この社会は、ちょっとでも間違えたら即謝罪の文化なのでとにかく「謝る」ことに重点が置かれているため、このようなことが発生していると考えられます。
よく考えれば謝罪する意味がわかりません。自分が悪くないのに謝るなんて。
会社で働いているとこういうことがよくあります。その場を収めるためにやらなければならない時もあります。
しかし
こういう場当たり的な謝罪をくり返していると自分の中にフラストレーションが溜まっていきます。それに、本当に重要な謝るべき時が分からなくなります。
そんなことはロクなもんじゃありません。
だから僕は自分が悪いと思わない限り謝りません。
JRも責任が無い場合は謝らないでほしいのです。
好きなものに囲まれていると気分がE
こんにちは、ワタナベです。
今日は雨です。雨の日に家でダラダラするのが何よりも大好きなので最高です。
好きなもので自分の周りを固めるととにかくテンションがあがります。
僕の場合、エピフォンのギターや、リーバイスのジーンズや、お気に入りの腕時計や、大好きなCDなんかがそれにあたります。
ギターを弾いている時や、お気に入りのアイテムを身につけている時、または聴いている時はとても良い気分になるのです。
なので、こういうものを周りに揃えていると日々の生活が楽しくなります。どこを見ても好きなものしかない状態になるからです。
これは大切なことです。
好きなものを周りに揃えるためには、「それを手に入れるのを我慢する」ことをやめなければなりません。「欲しい!」と思ったものを絶対に手に入れなければ、この状態にならないからです。
多くの人が、我慢して生きています。だいたいの場合、金銭的理由で我慢していると思いますが、今持っているお金で解決できるならすぐに解決してしまいましょう。
何が良くないって、我慢することです。社会では我慢とか忍耐が美徳と思われてますが、こんなものは人生において屁の役にも立ちません。
自分の心や価値観を貧しくするだけのものです。
我慢している人は他人にもそれを求めます。好き放題やっている人を敵視します。
ロクなもんじゃありません。
なので、今すぐ我慢や忍耐をやめて好きなものを手に入れ、それに囲まれて過ごす人生を選びましょう。
知識は有料です
おはようございます、ワタナベです。
サラリーマンやってたときにいつも不満に思ってたことがあります。
それは現在請け負っている仕事以外のことで色々聞かれることです。
例えば、「今度こんなものを輸入したいんだけど必然な手続きと関税率を調べて教えてほしい」みたいなことをよく聞かれました。
しかも無料で。
ビジネスチャンス?必要なサービス?プラスアルファのサービス?
いやいや。
知識は有料です。それに付随する行為も有料です。
お客さんってだいたい勘違いしています。契約してお金払っていれば契約内容以上のことも無料で教えてもらえると思ってます。
なぜかと言うと
知識は無料だ
という感覚があるからです。
車とか家とか食べ物とか、形あるものはお金の対象ととらえるのに、知識とか技術とかは何かと無料と思われがちです。
例えば歌で生計立ててる人に、「ちょっと結婚式で歌ってくれない?無料で」とお願いするのはそういう感覚があるからです。
車を売っている人に、「結婚するからちょっと車くれない?無料で」とお願いしたら断られるに決まってます。
なぜなら車は商品だからです。
つまり、扱っているものが有形か無形かという違いであって商品には変わりないのに、みんな無形のものについては無料と勘違いしています。
僕ははっきり言います。
知識や技術は有料です。
僕のように専門職についていた人、ついている人、強気でいきましょう。
理不尽な要求にはノーを、もしくは絶対にお金をもらいましょう。
知識は有料です。これを勘違いしている人が多すぎです。
イクメンってなんじゃい?
真夜中です。ワタナベです。
自作CDのカップリング曲を作成中です。ベースラインの録音にハマってこんな時間になってしまいました。寝る前に書き込もうと思います。
イクメンという言葉を使っているパパ、それは恥ずかしい言葉だと気付きましょう。
イクメンという言葉は子育てに対して「お手伝い」感覚で関わっている男性が使っている言葉だと思います。つまり子育てに対して主体的に取り組んでいるパパが使う言葉ではありません。
以前何かで目にしました。外国人に「イクメンは英語では何て言うの?」とたずねたところ、こう返ってきたそうです。
「Father」
つまり、父親なら子育てして当たり前という感覚です。わざわざイクメンなんて言葉を作る必要なんてないのです。
子育てするママのことイクウィメンって言わないのに、なぜパパだけイクメンってわざわざ言うのでしょうか?それは子育てに対して「参加」している感覚があるからです。
パパだって子育てして当たり前なんです。パパだって子育ての当事者です。イクメンなんて言葉を口にしている時点で自分の子育てが表面的なものだと認識しましょう。
そして子育てに主体的に取り組んだ時、いかにママが凄まじい労働を毎日こなしているか気付くはずです。それを理解した時に、イクメンという言葉は恥ずかしくて使えなくなるはずです。
だから全国のパパ、今すぐに残業をやめてすぐに家に帰って子育てしましょう。有給も遠慮なく使って子育てしましょう。なんなら僕のように会社を辞めましょう。
会社の仕事なんてあなたじゃなくてもできます。できないようなら会社に問題があります。あなたのせいではありません。そして、会社の仕事はあなた以外にもできる人がいるようにしなければなりません。
会社に人生捧げるより家族と楽しく暮らしましょう。そうすれば必然的にイクメンなんて言葉を口にしなくなります。
イクメンという言葉は、表面的に子育てしているパパが自分はこれだけ子育てしてるって自慢するときに使用するものです。
とか言って、僕も新米パパの頃はイクメンになるぞ!と頑張っていました。奥さんからの度重なる手厳しい指摘により、今は出家した坊主のように慢心を捨てて子育てしている次第です、ハイ。
誰かのことを気にしていたら好きなことなんてできない
良い天気です。ワタナベです。
突然ですが、自分の好きなことをやるときや、やりたいことをやるときに、自分のことだけ考えれば良いと思います。
例えば、好きなバンドのライブに行きたいとき、子どもの世話を奥さんにお願いしなければなりません。しかし、奥さんに悪い気持ちでライブに行っても100パーセント楽しむことはできません。なぜなら、心のどこかに罪悪感があるからです。
であれば、もう開き直って自分のことだけ考えた方がいいです。その方が100パーセントライブを楽しめます。
帰ってから奥さんに「今日は本当にありがとうございました!あざっす!」と深々と頭を下げて感謝の気持ちを言いましょう。
中途半端に良い夫であろうとすると、結局どちらも中途半端になります。
思い切ってワガママに生きましょう。奥さんの大変さを考えるのをやめましょう。自分の楽しみだけ考えましょう。
奥さんへの罪悪感は奥さんにとってなんの役にもたちません。帰ってからありがとうございましたの気持ちを伝える方が関係にとって建設的です。
これはすべて他のことにも当てはまります。
要は自分の決断の責任を自分ですべて引き受けましょうということです。自分の決断や行動で誰かが不利益になることを恐れていたら、永遠に心の底から好きなことを楽しむことなんてできないのです。
好きなことをするって、結局そういうことなのです。