僕の奥さんのこと

こんばんは、ワタナベです。

 

ギターが売れました。とても嬉しいです。心あるプレイヤーの方が弾いてくれることを願います。

 

今日は奥さんのことを書こうと思います。

 

僕と奥さんはあらゆる面において対照的です。

 

例えば

 

僕は神経質で細かく短気。奥さんはある程度ざっくりしていておおらか。

僕はインドア派。奥さんはアウトドア派。

僕は見た目病弱タイプ。奥さんは元気タイプ。

僕はへそ曲がりで天邪鬼。奥さんは真っ直ぐで素直。

僕は天然タイプ。奥さんはしっかり者タイプ。

僕は内向的。奥さんは外交的。

 

てな感じです。本当ここまで真逆で良く続いてるもんだなと思います。

 

それで考えてみると、僕は密かに彼女の自分とは正反対の面を羨ましく思っていたと気づきました。

 

例えば、彼女の誰とでもすぐに仲良くなれる才能とか(実際に彼女が自動車学校に行っていた時、外国人の方と友達になったり、教官と仲良しになったりしてました)、あっという間にその場の雰囲気を和ませたりする才能は僕にはありません。なので、ある意味羨望の眼差しで奥さんを見ています。

 

何よりも僕が嫉妬してしまうのは、彼女の素直さです。自分の信じたもの、信念に対して猪突猛進です。だから、彼女は良く手痛い目に合います。でも、めげない。それどころか、その失敗すらも彼女の真っ直ぐな性格の活力となっています。

 

悪い言い方をすれば、僕には時にそれが愚直に思えて仕方ありません。だから、彼女が猪突猛進している時にイライラしてしまう時があります。「そんなことしなくていいのに」と感じてしまうのです。

 

しかし、僕を含めた社会で生きる人達の中に、僕の奥さんみたいに信念を曲げずに生きている人が果たしてどれくらいいるでしょうか?僕がイライラしてしまうのは、奥さんみたいにできない自分に対するイライラの裏返しなのかもしれません。

 

夫婦喧嘩の時も、彼女の言い分はツッコミ所がないくらいの正論です。そして、それは自分に嘘をつかずに生きている人だけが使うことのできるとっておきの武器なのです。

 

僕は彼女のようにはなれないでしょう。また、羨ましいと思えど、彼女のようになりたいとは思いません。

 

それはつまり、僕は奥さんのことを自分とは違う1人の人間として尊敬しているということです。

 

嬉しいことに、僕の2人の息子達は彼女の才能を受け継いでいるようです。なんて羨ましい。

 

ちなみに対照的な僕と奥さんですが、ユーモアのセンスだけはベストマッチなのです。

 

男の仕事の9割は決断だ

三連休終わって魂が抜けてしまったワタナベです。

 

仮面ライダー、最高です。ワタナベ家は奥さんも1歳のチビもみんなでハマってます。ストーリーもフジテレビなんかの安いドラマなんかよりよっぽどしっかりしてます。役者も粒ぞろいです。

 

僕が好きな仮面ライダーWの中にこんな台詞がありました。

 

「男の仕事の9割は決断だ」

 

かっちょえ〜っ!だよね、だよね!そこにシビれる憧れるぅッ!

 

まさに僕もそう思うんです。僕は決断できない人は信用しません。決断するって、大なり小なり、エネルギーを使います。そして大なり小なりその決断に対して責任を持つことでもあります。

 

前になんかの本で「仕事ができるやつはしつこいくらい確認する」って見ました。僕はこれ、まったく同意できません。しつこいくらい確認って、そりゃそんだけ他人に聞いて自分で決断するとこを無くせば、仕事ができない方がおかしいでしょ。それに確認される方の身にもなってよ。その人の決断のために自分の時間を割かれるなんて、ふざけてます。最悪、その人の確認事項に対して判断をしなければならない、つまりその人の決断を請け負ったりしなきゃならない。

 

そんな人を信用できるわけがありません。そんな人を「仕事ができる人」って言えません。

 

仕事ができるできないって、自分で案件に対して責任持って決断した回数に比例すると思います。その決断が間違っていたとしても、その決断を自分でした以上他人任せにはできない。要は最後までケツを持ってなんとかする、もしくはできないっていう結末までを引き受けるってことです。

 

僕は仕事柄決断しなきゃならない回数が多分普通の会社員より少し多いです。だから、間違ってしまうことも結構あります。でも、僕的には確認しまくる「仕事ができる人」よりはよっぽどカッコいいし、潔いと自分で思ってます。決断できない人は自分の決断で間違ってしまうのが怖くて怖くて仕方ないんです。だから、最終の決断を確認を通して逐一他の誰かに委ねることで、責任転嫁してるんです。かっこわる。

 

確認しなくても良いことは責任持って決断していこうぜってことです。

 

仮面ライダーWでは9割が決断だって言ってました。それが真実か真実じゃないかは別として、自分で決断できる人はいつも独立した個人としてカッコいいと僕は思います。自分の人生に責任を持ってるヤツってことですからね。

 

だから僕は、決断できないってことはある意味罪だって思います。何があっても「俺が決めたんじゃないもん」って逃げ道を用意してるっていうことだからです。ズルいよね。

 

そんな時はこう言ってやります。

 

「さあ!お前の罪を数えろ!」

 

最後は無理やりでしたね。

デキる経営者ってなによ?

シンプルにワタナベです。

 

食欲が止まりません。毎晩ご飯3杯を軽くたいらげ、更に何かないかなと冷蔵庫を物色したりしてます。

 

以前電車の広告で気分が悪くなるものを見ました。ビジネス経営に関するもので、かなり売れているらしい本の広告です。

 

その謳い文句が、確か「経営をうまくしたければ従業員のことを考えてはいけない」みたいなものでした。多分、従来の名経営者が言っている「従業員を家族と思え」みたいなものと正反対の内容なのでしょう。だからこそ、みんなが真新しく感じて売れてるのではないかなと僕は思いました。

 

でもちょっと待ってください。

 

あれ?

 

そのやり方なら、別に人間がやらなくても良くね?コンピュータの方がもっと合理的な結論をはじきだすんじゃね?

 

経営の難しいところは人間が人間を雇っているからこそ発生するコミュニケーションとか心のやり取りに関する部分だと思うんです。コンピュータはそんなこと考慮しませんから、人間よりもずっと合理的で「利益のための正しい判断」をするというわけです。

 

経営的に利益をだそうとすると、従業員に厳しい処遇を取らなければならないことも多々あると思います。しかし、仮に従業員に厳しい処遇を取らざるを得なかったとしても、人の心を考慮した末の苦肉の索なのか、それともハナからそれを無視した索なのかでは意味合いが違ってきます。

 

そこには何かしらのフォローがある必要があります。仕事だからと言って人の心を無視していいことにはならないのですから。

 

今まで日本人は仕事のために心を犠牲にしすぎてきました。その結果、ロクなことになっていません。

 

過労死とか、自殺とか、家庭不和とかそういった問題が発生しています。

 

経営者がこれから従業員のことを考える必要ないと本気で考えだしたら、もう終わりです。経営で成功して、人間的にクズになりたいなら良いと思います。世界の名だたるCEOは人間的にクズだと良く聞きます。そういった人の方法論に賛同したいならそれでもいいでしょう。

 

ただ、僕はそういうクズにはなりたくなくて、人生を楽しく生きたいので、これからの世の中は人の心を重視すべきだと考えます。

 

人の心より重要な仕事なんて、あるわけないじゃないですか。それが分からなくなったら終わりです。だから、仕事だからと言って自分の気持ちを押し殺さず、できませんとか平気で言ってます。

 

ちなみに僕はその広告の本を読んでいないので内容は分かりません。ですが、謳い文句にそういうことを掲げている時点ですでに終わっているのです。

目指す父親像を間違っていた

ワタナベことワタナベです。

 

ギターが趣味なので、今使っていないものをメルカリで売って新しいのを買おうと思っています。でもやっぱりなかなか売れませんね。

 

さて、僕には2人の息子がいます。長男との相性の悪さは以前にブログに書きました。彼とは結構ケンカします。その理由は以前に書いたように、「似すぎていてぶつかる」という同族嫌悪みたいなものでしたが、この他にも最近気が

ついた理由があります。

 

それが、今日のブログのテーマです。

 

目指す父親像を間違っていたんです、単純に。

というか、自分に対する認識を間違っていたんです。

 

まず、僕は「父親たるものは包容力があり、かつ強さを見せなきゃならない!怒る時はガリッと怒って、かつ少しのことには動じないような豪快な感じでいなければ!」と勝手に思っていました。

 

分かりやすく言えば、よくインスタとかで見かける父親みたいな感じです。ちょっと前のドラマ「とんび」の父親とか、海外ドラマ「This is Us」の父親みたいなイメージ。

 

ですが、僕は「タイプが違う」のです。言ってみれば正反対なのです。

 

まず、威圧感がありません。そしてものすごく神経質で心配性です。見た目も色白で痩せています。

 

だから、よく人に「なめた態度」をとられます。「こいつなら強くいってもいいだろ」みたいな。ですが、僕はものすごく負けず嫌いなのでそういう時は必ず反発してきました。そしてその負けず嫌いな感情が「正しい自分像」の認識の妨げになっていたのです。

 

僕は今まで自分のことをいわゆる「強い男の人・豪快な男の人」に見られようとしていました。しかし、少し前に気づいたのです。

 

そういうタイプじゃない。

 

自分を否定してるわけではありません。単に目指すところを間違っていただけなのです。サッカーの才能があるのに野球選手を目指しちゃったみたいな感じです。

 

そして僕にとってその才能は「優しいこと」だと思います。

 

力持ちの父親の世界一にはどう転んでもなれねーなと思いましたが、優しい父親の世界一ならなれそうな自信があります。

 

つまり、世界一の優しい父親が僕の目指すべき父親像だったのです。そして、1人の男の人として目指すことも「強くいること」ではなく「優しくいること」だったのです。

 

これに気づいてから、なんか楽になってきた気がします。息子になめられないように虚勢を張らなくてもいいし、必要以上に怒らなくて良い。生活においても、無駄に人と張らなくてよくなった気がします。

 

等身大の自分を認めて受け入れることって、簡単なようで難しい。

 

あとは包容力くらいはもうちょっと身につけてみようかなと思うとります。

 

お客さんという壮絶な勘違い

はいどーもー!8件目の書き込みにして、すでにこなれた感じを醸し出してみたワタナベです。

 

会社でできないってハッキリ言うことを実践してみてますが、遂に、というか、予想通りお客さんからクレームがきました。

 

「なぜできないんですか?それはオタクの

問題でしょ?」

 

「もっとシビアな案件にも対応してくださいよ」

 

てなことをつらつらと電話で言われるわけです。さて、僕はどのように答えたかというと

 

「現状は厳しい状態ですが、対応できる部分は対応させてもらってます」

 

みたいなことを鼻ホジホジしながらできるだけ真剣な声で話しました。ただ、間違っても「申し訳ないです!今後は対応させていただきます!」みたいなことは言いません。だってそれは自分のポリシーに反するからです。それにそんな安請け合いをすれば自分で自分の首を絞めまくるのは目に見えています。

 

まあ、結果として今後はできるだけ対応する方向にはしてみますよって感じにしましたが、僕にはそんな気はサラサラありません。

 

お客さんってなんでしょうか?僕の会社にお金を払って仕事をさせてくれてるところでしょうか?なんかお客さんと話してると、「オタク、なんか勘違いしてるんじゃない?」ってくらい高圧的に接してくる人がいます。

 

僕はお客さんっていうのは、自分のサービスをお金をもらって使わせてやってる存在だと思います。なぜ僕の会社のビジネスが成立するのかというと、当然需要があるわけですが、その需要はどんなものかというと、「自分でやると大変、もしくはめんどくさい。だからオタクにお金を払って頼みたい」ってことだと思うんです。

 

ということは僕とお客さんの立場はどちらが上とか下とかないフラットな関係のはずです。なのになんでそういう高圧的な態度の人がいるのか?そうです。そういう人は単に僕のことが嫌いなんです。だから力比べをして上に立ちたいんですね。自分はお金を払ってるんだぞ!っていうことを口実にして攻撃しているわけです。

 

ある意味、非常に人間臭いですね。自分の気持ちと感情に素直といえます。

 

しかし、その攻撃の矛先を向けられた方はたまったもんじゃありません。

 

だから僕は、もうこれ以上クレームを入れてくるならお客さんをやめてもらいたいです。

 

そもそも、「お金払ってます!」ってぐらい払いのいいお客さんじゃないです。僕にこれ以上の対応を求めるのであれば、お客さんもそれに見合った額を支払って当然なのです。僕の対応が問題でお客さんが離れていったって責められるのであればこれはしめた!と言わんばかりに辞めるチャンスです。

 

立ち食いそばの店員さんに一流レストランと同様の対応を求めるのはおかしいことです。それ相応の金額を支払うことでそれ相応のサービスという商品を買って(買わせて)もらっているのです。

 

そこが理解できないのは悲しいことです。いつも「俺(私)は客なのに!」と不満を感じながら人生を過ごすことになります。割り切って、「オイラ、これしか金かけてないから、できないって言われてもしょーがねーズラ」みたいな感じで生きてもいいじゃないですか。それが嫌なら、高いお金をを払えば良いのです。

 

そして、仕事だからとか、お客さんだからと言って、僕に高圧的に接しても良いことにはならないのです。

人生をめんどくさくする人

わんばんこ。ワタナベです。

 

突然ですが、楽しく生きている人ってどんな人でしょう?自分でやりたいように生きて、あーだこーだと心配したりしない人。僕が思うに、そういう人はシンプルな思考を持っていると思います。

 

以前に確か水木しげるが言っていました。(うろ覚え)

 

「人生をこねくり回してはいけない。」

 

それを観た時の僕は意味が分かりませんでした。なぜなら、その時の僕は「自分の人生は自分の力で無理やりでも行きたい方向にシフトしなきゃ!シフトできるはず!」と思っていたからです。

 

今の僕からすると、「そういう考え方は人生をめんどくさくするだけだ」と言いたくなります。

 

そういうタイプの人は

・何でも自分でやらなきゃ気が済まない

・自分の疑問を徹底的に調べようとする

・物事に妥協できない

・自分で何でもできると思っている

・自分の決めたルールに何事も合わせようとする

という特徴があります。まあ、以前の僕です。

 

こういう人は物事をめんどくさく考える人で、周りにいる人達は疲れてしまいます。なぜなら、こういう人は進んで物事をややこしくしたり、めんどくさくする達人であり、めんどくさいことに敢えて首をつっこみたがるのです。

 

所詮1人の人間にできることなんてたかが知れています。すべて完璧にしようとするなんて不可能ですし、おこがましいことなのです。なのに物事を自分の力で無理やり変えようとすると、自然に流れている流れがめちゃくちゃになってしまいます。こうして自分の人生が楽しく進まなくなってしまいます。そして自分で流れを悪くしていることに気づかないため、なぜうまくいかないんだろうといつも不満を抱えることになります。

 

僕はそういうタイプでした。例えば上手くいってる事柄にわざわざ首を突っ込んで、余計な作業を増やしてしまうみたいなやつでした。いまも少しその気があります。僕の奥さんは本当に苦労したと思います。そんなめんどくさい面に付き合ってくれて感謝してます。

 

僕は、物事っていうのは「そういうもんだよね?」っていう共通理解のうえですすめてもいいと思います。そこの理由をわざわざ掘り返して調べなくても良いんじゃないかと。「前からこういうものだ」っていうものは、今の状態が安定しているもので、そこに「いや、それは違うんじゃない?」っていう意見はいらないんです。太陽は東から昇って西へ沈むのです。その理由がわかったところで、「だから何?」ってなもんです。

 

物事ってなんか大きな流れみたいなものに乗って流れていて、それに合わせて生きていくと楽に楽しく生きれる気がします。いわゆるシンプルな生き方です。

 

「いやいや、人間努力して自分の道を切り開かなきゃ」とかいう意見はもうめんどくさいです。

 

「まあいいや」と思えることはとても大切なことです。

 

適当って言葉、本当にいい言葉だな。

 

 

多忙は人の心を壊す

こんばんみ、ワタナベです。

 

クソッタレの残業で帰りの電車の中で書いています。そんな自分の気持ちにマッチすることを書いてみます。

 

忙しいという漢字は心を亡くすと書くとは良く言ったものです。普段の僕は自分でいうのもなんですが、わりとのんびり屋さんだと思います。でも仕事でいっぱいいっぱいの時は、露骨に態度が悪くなります。たまに人にあたってしまうような態度の時もあります。そんな時はたまらなく後から自己嫌悪に陥ります。

 

忙しすぎて大変な時、いつも僕が思うことがあります。

 

「いつも自分だけ忙しい。他の人は早く帰ってズルい。」

 

ヤバイ思考ですよね。最近はこの思考が進みすぎて、周りの人を軽く逆恨みしそうになってます。

 

いわゆるデキるサラリーマンなら絶対に思わない考え方ですよね。

 

でも別にいいじゃない!だって別にデキるサラリーマンじゃないし、そういうの目指してないし!他人を逆恨みしたって直接的に迷惑かけてるわけじゃないんだし、それで自分の心が精神衛生上保てるならいいじゃない!

 

そんな風に自己肯定しないとやっていけないくらい、忙しすぎるときの僕は心を亡くしています。そして、忙しすぎるときにとった態度が原因で壊れてしまった関係や信用、自分に対するイメージはそう簡単に取り戻せず、自分の心をあらゆる場面でチクチクと攻撃してくるのです。

 

そう、多忙は人の心を壊す凶器みたいなものなのです。そして、その多忙を作りだす環境はさながら死の商人と言えるでしょう。

 

忙しすぎる時に、攻撃的になってるのは無意識にその見えない攻撃に対して防御反応を起こし

ているのではないかと思うんです。

 

だから、そんなクソッタレの環境からは一刻も早く立ち去りましょう!自分のいるべき場所はそこではないのです。

 

僕もとっとと今の会社をやめて好きなことしながら生きていくつもりです。