目指す父親像を間違っていた
ワタナベことワタナベです。
ギターが趣味なので、今使っていないものをメルカリで売って新しいのを買おうと思っています。でもやっぱりなかなか売れませんね。
さて、僕には2人の息子がいます。長男との相性の悪さは以前にブログに書きました。彼とは結構ケンカします。その理由は以前に書いたように、「似すぎていてぶつかる」という同族嫌悪みたいなものでしたが、この他にも最近気が
ついた理由があります。
それが、今日のブログのテーマです。
目指す父親像を間違っていたんです、単純に。
というか、自分に対する認識を間違っていたんです。
まず、僕は「父親たるものは包容力があり、かつ強さを見せなきゃならない!怒る時はガリッと怒って、かつ少しのことには動じないような豪快な感じでいなければ!」と勝手に思っていました。
分かりやすく言えば、よくインスタとかで見かける父親みたいな感じです。ちょっと前のドラマ「とんび」の父親とか、海外ドラマ「This is Us」の父親みたいなイメージ。
ですが、僕は「タイプが違う」のです。言ってみれば正反対なのです。
まず、威圧感がありません。そしてものすごく神経質で心配性です。見た目も色白で痩せています。
だから、よく人に「なめた態度」をとられます。「こいつなら強くいってもいいだろ」みたいな。ですが、僕はものすごく負けず嫌いなのでそういう時は必ず反発してきました。そしてその負けず嫌いな感情が「正しい自分像」の認識の妨げになっていたのです。
僕は今まで自分のことをいわゆる「強い男の人・豪快な男の人」に見られようとしていました。しかし、少し前に気づいたのです。
そういうタイプじゃない。
自分を否定してるわけではありません。単に目指すところを間違っていただけなのです。サッカーの才能があるのに野球選手を目指しちゃったみたいな感じです。
そして僕にとってその才能は「優しいこと」だと思います。
力持ちの父親の世界一にはどう転んでもなれねーなと思いましたが、優しい父親の世界一ならなれそうな自信があります。
つまり、世界一の優しい父親が僕の目指すべき父親像だったのです。そして、1人の男の人として目指すことも「強くいること」ではなく「優しくいること」だったのです。
これに気づいてから、なんか楽になってきた気がします。息子になめられないように虚勢を張らなくてもいいし、必要以上に怒らなくて良い。生活においても、無駄に人と張らなくてよくなった気がします。
等身大の自分を認めて受け入れることって、簡単なようで難しい。
あとは包容力くらいはもうちょっと身につけてみようかなと思うとります。