完璧な人間を目指してる?

コニチハ、ワタナベです。

 

今日は朝から書きこもうと思います。

 

最近グータラ過ごしているので、なんか周りのことで気付くことが多いです。

 

あれ?みんな完璧な人間になろうとしてない?

 

国会中継とかニュースを観てそう感じました。ちょっとでも間違えたら謝罪謝罪。以前と言ってることがちょっとでも違ったら訂正訂正。

 

日本ってそういう文化なんでしょうか?なんか潔癖すぎませんか?

 

僕が生きづらいと感じる理由って、ひょっとしたらこの潔癖さなのかもと思いました。完璧であろうとするために生じる潔癖さ。

 

良識ある社会人としてとか、良き夫としてとか、頼れる父親としてとか、すべてこの潔癖さが原因の気がします。

 

人間はコンピュータではないので間違えもするし矛盾することも多々あります。でもそれを社会が許してくれない。いわゆる「あそび」がなさすぎると思うのです。一から十まですべて完璧じゃなきゃダメって感じがします。別に一のうち五くらいできてれば生きていける、というかそもそも一のうち一もできなくたって生きていけるのです。

 

間違えてしまう人を断罪する前に、なぜ間違えてしまうことがいけないのか?を考えてみた方が良いです。そうすると大概のことは別に間違えてもいいことであると気づきます。

 

僕はそんな風に思うので多分この先も会社みたいないわゆる社会ではやっていけないでしょう。

 

ま、いいじゃない!