物事の本質とは何か?
ウィッス、ワタナベです。
いよいよ会社への出勤も今週が最後となりました。早く辞めたいです。
さて、以前からずっと考えていたことがあります。それが今回のブログのテーマです。
本質とは何か?
現在の時点で僕は通関士という仕事をしています。輸出したり輸入したりする貨物を税関に申告する仕事です。申告するときにHSコードという番号を貨物に振り当てます。そのことでいつも意味が分からないと思うことがあります。ろ過に使うフィルター。これを申告するときフィルターのHSコードを振るのですがろ材の材質によっては不織布のHSコードにしなければなりません。
えっ?フィルターはフィルターじゃん?なんで?
そこに至る経緯はあるのですが、正直釈然としません。だってろ材の材質にかかわらずフィルターはフィルターなんですから。見た目が不織布じゃないですよね。こんなのが結構あります。
そんな時いつも思うのです。本質が分からないとこういうことが起こる。細かい情報を気にしすぎるあまり、そのもの自体が何なのかが分からなくなって訳の分からないHSコードが振られている。
お金についてもそう思います。お金はそもそも便宜上何かと等価値という風に扱われているだけであって、そのもの自体は紙でしかありません。お金を沢山持っているということは紙を沢山持っているということに過ぎないのです。
では、なぜお金が沢山欲しいとかお金持ちになりたいと思うのか?
それはそのお金と交換に、自分が欲しいと望む、社会でお金の量と便宜上等価値と認められている何かを手に入れるためです。食べ物であったり、車や家、ギターとかです。つまり、お金は自分が欲しいと思うものを手に入れるための道具という風に考えることができます。
ということは、お金を沢山稼ぐことが最終目標ではなく、その欲しい物が手に入るということが最終目的であり、本質と言うことができると思います。
お金を沢山持っていることを考えてみます。お金は便宜上その欲しい物と等価値にはなり得ますが、その物自体ではありません。あくまでそれを手に入れるための道具です。それならば、自分が欲しい物が手に入るならば、別にお金が必須ということにはならないはずです。
食べ物を手に入れるためにお金以外の何か、例えば車とかギターがそれと等価値で交換されることもあり得ます。つまり等価値としての物は何にでもなり得るわけです。だから、食べ物を得ることがイコールお金を沢山持っているということにはなり得ないのです。
最終目標は食べ物を手に入れることであるのに、お金を沢山稼ぐことが目標になっていませんか?
いつもそれを考えています。本質を理解すること。それが人生を楽しく生きるヒントになるような気がしてるのです。