やりたいことをやろうとすると神様が試してくる

こんばんは。ワタナベどす。あ、ワタナベです。

 

僕が会社を辞めるという話題が、社内で少しずつまわり始めました。

 

僕には仲が悪い他事務所の営業のおばさんがいます。口喧嘩したのも何度もあります。その人が先日本社に話し合いに来ました。(僕の勤めているのは本社)新年の挨拶を僕以外のみんながしていたので、もう仕方なく帰りがけに僕も挨拶しました。すると、「ちょっといい?」と社外に呼び出しされました。何言ってくるつもりだ、この人は?って思ってると、

 

「聞いたよ。辞めるなんて勿体ないよ!色々嫌なことはあるだろうけど、だったら少し会社休んだりしてリフレッシュすればいいんだよ!ワタナベさんはしっかりやってくれてるんだから!考え直してみなよ!」

 

と言われました。

 

キョトン。

 

あれ?この人俺のこと嫌いなんじゃないの?意味が分かりません。

 

ひょっとして誰かの差し金か?敢えて嫌いなおばさんを使って引き止めようとしているのか?

 

それで自分なりにどういうことか考えています。現状の結論が今日のブログのタイトルです。

 

神様がいるかいないかは置いておいて、神様というのは自分のやりたいことをやろうとしている人のことを試してくると思います。神様は意地悪なのです。例えば、新しい何かを始める前に目に見えて試練を置いたりします。

 

僕が以前ハワイに行こうと決めた時、出発の日が近づくにつれて仕事量やトラブルが目に見えて増えました。こんなんじゃ、会社を休めない。ハワイに行けない。でも僕はどうしてもハワイに行きたかったので何とかやりくりしました。すると、出発日の前日には嘘のように仕事やトラブルが無くなりました。それどころか、通常鳴り止まない僕への問い合わせの電話すら無くなりました。

 

フォフォフォ、おめでとう。お主はワシの与えた試練を乗り越え、見事ハワイに行く資格をえたのじゃ。

 

そんな風に言われた気分でした。そこでくじけるくらいなら、そもそも僕自身がそこまで望んでいることではない。

 

神様はそんな罠みたいな試練を仕掛けて確認してくるのです。

 

試すというのは試練とは限りません。それが今回のケースです。

 

敢えて僕の嫌いな人を使って僕に引き止めや労いの言葉をかけることで、僕の退職の決心を、やりたいことをやろうという決心を試しているのです。これに引っかかって退職を考え直したりしたら僕の負けです。

 

逆を言えば、この試されることを乗り越えれば自分の行きたいところに辿り着ける、つまりやりたいことをやれるということになります。だから、僕の決心や選択は正しいんだなって分かります。

 

退職までの間、こういったことが頻繁に起こることが予想されます。でも自分がやりたいことに近づいていることが分かるので、乗り越えまくって自分の希望を叶えようと決めています。