向き不向きの話

今日も帰りの電車でブログを書く、自称ワタナベことワタナベです。

 

人には向き不向きというものがあります。それを認識して生きていくのとそうでないのとでは、人生の楽しさが変わってくると思います。向き不向きというのは、その人個人の才能に由来します。ここでいう才能というのは特別な才能のことを指すわけではなく、国語より算数の方が得意だという次元のもので良いです。また、この才能にはもともと持ち合わせている気質とか性格といったものも含みます。要は後天的に決まるものではなく、先天的に受け継いだもの、すなわち親からの遺伝に由来するものということです。

 

こういう話になると、救いようがないように感じるかもしれません。どんなに頑張っても才能には敵わないということだからです。しかし、それはハッキリ言ってそうだと思います。歌が下手な人はどんなに頑張ってもオペラ歌手にはなれないし、算数が苦手な人は数学者にはなれないのです。だからこそ、自分の向き不向きを認識して生きた方が良いのです。確かに100メートル走の選手を目指している人が自分の才能の無さに気がついた時は人生に絶望するかもしれません。しかし、それも向き不向きを認識するうえで最高の機会なのではないでしょうか。

 

僕は才能のない部分を伸ばそうと頑張っても無駄だと思います。よく経験値がカバーしてくれるということを言う人がいますが、才能ある人を超えることは決してできません。100メートルを20秒かかる人がどんなに頑張って練習しても9秒で走ることはできないのです。

 

才能を明確に理解することは難しいですが、その一端を感じることはできます。例えば、努力しなくてもすんなり出来たこととか深く考えなくてもすぐ理解できる分野なんかは向いている、つまり才能がある場合が多いです。そういったことに取り組んでいる時はきっと楽しいと感じるはずです。逆に頑張ってもなんとかならないこと、いくら考えても理解できない分野は才能が無い部分でしょう。取り組んでいても苦痛を感じるはずです。

 

向いていることに力を注ぎ、そこを突きつめていくと間違いなく人より上達します。最初はつまらなくても、そのうちに楽しくなります。なぜなら苦労しなくてもすんなりと思うようにこなせるからです。

 

僕の場合は向いていることはギターを弾くことです。ハッキリいって最初からほとんど弾けました。周りのギターやってる友達なんかあっというまに追い抜きました。苦労なんて感じたことがありません。何かをひたすらやるという才能が多分僕にはあって、ギターを弾くのはそれを活かせる分野なのです。向いていないことは接客とか営業とかです。これに関しては、もう絶望的だと分かっています。人付き合いが下手というわけではなく、人をおだてたり下手にでたりすることに関しててほぼまったく才能を感じません。そんなことをしたりすると死にたくなります。

 

そんなわけで、僕は仕事はなるべく専門的なものを選びました。接客や営業は死んでも選びません。

 

ちなみに趣味で取り組むなら向いてないことでも構わないと思います。その人が好きでやってることに口出しは無用です。ただ、向いてないことをやったりすると周りに気を遣わせたり迷惑をかけることがありますので注意が必要です。