ミッシェル・ガン・エレファントのこと
こんにちは。ワタナベ、エレファントです。
僕はインスタもやっています。今日インスタライブします。内容はミッシェル・ガン・エレファントを聴きながらビールを飲もうという内容です。興味ある方は是非お付き合いください。
http://www.instagram.com/thenontarou
で、ミッシェル・ガン・エレファントです。TMGEとか呼ばれてますが、僕は敢えてミッシェルと呼ばせてもらいます。
ミッシェルはチバユウスケ、アベフトシ、ウエノコウジ、クハラカズユキの四人からなるロックバンドです。フジロック初期のライブはもはや伝説となっています。
僕はミッシェルを世界の終わりという曲から知りました。実際に自分で買った最初のアルバムはハイ・タイムというアルバムです。
どこをどう切り取っても60年代の香りがする純度100パーセントのロックン・ロールは当時16歳だった高校生だった僕には文字通り衝撃的でした。
当時僕はミスチルを聴いていました。(今でも好きです)それとは正反対の音楽でした。
最初は何か悪いものを聴いている罪悪感みたいのがあって音量を小さくして聴いてたのを覚えてます。
僕がミッシェルを決定的に好きになったのはその次のアルバム、チキン・ゾンビーズの一曲目、ロシアン・ハスキーを聴いたその瞬間でした。
目が覚める感覚。自分だけの特別な宝物を見つけた感覚。そして、いい子ちゃんしなくてもいいんだぜ!という感覚。
すべてがこの瞬間に決定し、僕の根底を形作っています。
ミッシェルを語る時、もはや大好きすぎて冷静に客観的に語ることができません。
とにかくそれほど偉大なバンドなのです。
今日のインスタライブでもっと語りまくろうと思っています。
やろうと思ったタイミングがベストタイミング
こんばんは、ワタナベです。
フットワークが軽いとか重いとかありますが、最近の僕はフットワーク軽いです。
あ、これやってみよ!と思ったことはすぐにやってます。
鉄は熱いうちに打てみたいな感じで、「やりたいと感じたそのタイミング」って大切だと思います。
サラリーマンしてると、色々なリスクを考えてすぐに行動できなくなってしまいます。様々な方向からリスクを回避する方法を検討して、さあいざ実行しようという段階になった時には当初の情熱が冷めている、当初のアイディアが輝きを失っているなんてのはよくあります。
で、結局それを行動に移さない。
僕は今までこういうことがよくありました。
でも考えてみると、その方法論は自分の人生の生き方にはあまり役に立たないです。つまり、人生が楽しくなったかもしれない可能性を放棄しただけなのです。
だからやろうと思った時にそれを実行することは、自分の可能性を広げてやるということになると思います。楽しく生きるための可能性を。
そのタイミングがベストタイミング。他にやるべきタイミングは無いのです。
そのベストタイミングで実行されたことは熱いエネルギーを持っているはずなので必ず人生を面白くしてくれます。
とにかくやりたいと思った時にすぐにやる。最近はこれを心がけています。
感覚が子どもに戻っている
コンティニハ、ワタナベです。
毎日家でのんびり過ごしていると、物事に対する見え方とか考え方が違ってきます。自分でもそこが変化していることに気づきます。
以前だったら「そんなことフツーはしないよね」みたいな考え方も「別にやってもいいじゃん」と思えるようになります。
多分サラリーマンしてると、知らないうちにいわゆる「社会的な考え方」の影響を受けてしまっているのだと思います。そしてそれは仕方ないことだと思うのです。
自分がいかに小さな世界の考え方に束縛されていたのかが分かるという感じです。
今の僕は色々なことに対してオープンになってきています。やったことの無いことも、何の下調べも準備もなくいとも簡単に始められています。自分と違う考え方も何のフィルターも無く受け入れられます。なんかブレーキと色眼鏡が無くなって子どもに戻っているような感覚です。
これを利用して、やりたいことを全部やってみようと思います。
人に頼って何が悪い
こんばんは。ワタナベことワタナベです。
毎日楽しくて仕方がありません。
会社を辞めて、良いことだらけです。
例えば
1 朝早起きしなくても良いから夜中まで音楽作ったりできる
2 通勤しなくても良い
3 面倒な人間関係から解放されている
4 時間の拘束がない
5 とにかく好きなことができる
6 何より働かなくて良い
といった感じで僕は好き放題しています。
生活費の問題ですが、昨日親にお願いして一ヶ月の生活費分お金を借りれることになりました。融資してもらうわけです。
いけませんか?恥ずかしいことですか?二児の父親がやるなんてどうかしてますか?
いやいや。
いいじゃないですか。助けてくれる人に頼って生きましょうよ。そもそもなんで人に頼っちゃいけないんですか?会社でも自分一人で物事を解決できる能力が評価されますが、何故なんでしょうか?
僕は今まで自分で言うのもなんですが、だいたいのことを一人で何とかしてきました。仕事でもそうです。自分が頑張って何とかしてきました。親のことで言えば、親に頼るなんて金銭的にほとんどしたことがありません。周りの人で、家を買う時に親から援助してもらったとか、結婚資金を親に出してもらったとか聞くと、自分には縁遠い世界の話だなと思ってました。
奥さんが長男を妊娠して働けなくなった時も、二人で稼いでいた生活費の足りない分を補うために本業の他にアルバイトをしてました。親にお金のお願いなんてしませんでした。
今住んでいる家を買う時も一銭も出してもらってません。僕と奥さんで何とかしました。
で、今もう頑張るのが嫌になって会社を辞めたのです。自分一人でお金を稼ぐプレッシャーと、誰にも頼れないプレッシャーに耐えられなくなったのです。
というわけで、今は開き直っているに近い状態です。
親なんだから、こんな時くらい助けてよとか思ってます。
別にいいじゃない。
ズルしてふてぶてしく生きていったって。
ま、そんな訳であと1カ月は好き放題やってゆっくりと体を休めることができます。
人に頼るって、カイカン!
あ、インスタやってます。是非こちらもご覧くだちゃい!
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完璧な人間を目指してる?
コニチハ、ワタナベです。
今日は朝から書きこもうと思います。
最近グータラ過ごしているので、なんか周りのことで気付くことが多いです。
あれ?みんな完璧な人間になろうとしてない?
国会中継とかニュースを観てそう感じました。ちょっとでも間違えたら謝罪謝罪。以前と言ってることがちょっとでも違ったら訂正訂正。
日本ってそういう文化なんでしょうか?なんか潔癖すぎませんか?
僕が生きづらいと感じる理由って、ひょっとしたらこの潔癖さなのかもと思いました。完璧であろうとするために生じる潔癖さ。
良識ある社会人としてとか、良き夫としてとか、頼れる父親としてとか、すべてこの潔癖さが原因の気がします。
人間はコンピュータではないので間違えもするし矛盾することも多々あります。でもそれを社会が許してくれない。いわゆる「あそび」がなさすぎると思うのです。一から十まですべて完璧じゃなきゃダメって感じがします。別に一のうち五くらいできてれば生きていける、というかそもそも一のうち一もできなくたって生きていけるのです。
間違えてしまう人を断罪する前に、なぜ間違えてしまうことがいけないのか?を考えてみた方が良いです。そうすると大概のことは別に間違えてもいいことであると気づきます。
僕はそんな風に思うので多分この先も会社みたいないわゆる社会ではやっていけないでしょう。
ま、いいじゃない!
最近ワガママが増している
こんばんは、ワタナベです。仕事を辞めて1日目が過ぎていきました。
今日は試しにレコード会社に音源を送ってみようと思いたち、ソニーとビクターとキングレコードとベルウッドレコードに送る書類と音源を準備しました。明日郵便で送ります。
会社というしがらみから解き放たれたせいか、ここ最近の僕は前にも増してワガママになっています。
なんか開き直りにも似たものがあって、もう仕事なんかしたくない!一生家で過ごしたい!音楽だけひたすら聴いたりやったりしたい!ということを平然と奥さんに言っています。
彼女の凄いところはそういうワガママの極致みたいなのを聞いても「いいんじゃない?やってみようよ。協力するよ!」ということをサラッと言ってしまうことです。あれ?あなたは菩薩ですか?とか思ったり、後光みたいなのを感じたりする今日この頃です。
大人だからとか、夫だからとか、父親だからとかそういった理由でみんな本当にやりたいことを我慢して生きているわけですが、それはなぜでしょうか?そもそもなぜそういった理由で我慢しなければならないのでしょうか?そんなのは誰かが勝手に決めたルールなのに。
今まで僕も上の理由で随分と我慢していました。今はその反動でもあるわけですが、もう一つ。
好きなことばっかりしてやりたいように生きたら駄目なのか?
ということを自分で検証してみることにしたのもワガママになっている理由の一つです。
今のところはっきり言って最高です。あと、僕が作った音楽も最高です。自画自賛。
昔の自信過剰?な自分が戻ってきた感覚です。楽しい。