感覚が子どもに戻っている
コンティニハ、ワタナベです。
毎日家でのんびり過ごしていると、物事に対する見え方とか考え方が違ってきます。自分でもそこが変化していることに気づきます。
以前だったら「そんなことフツーはしないよね」みたいな考え方も「別にやってもいいじゃん」と思えるようになります。
多分サラリーマンしてると、知らないうちにいわゆる「社会的な考え方」の影響を受けてしまっているのだと思います。そしてそれは仕方ないことだと思うのです。
自分がいかに小さな世界の考え方に束縛されていたのかが分かるという感じです。
今の僕は色々なことに対してオープンになってきています。やったことの無いことも、何の下調べも準備もなくいとも簡単に始められています。自分と違う考え方も何のフィルターも無く受け入れられます。なんかブレーキと色眼鏡が無くなって子どもに戻っているような感覚です。
これを利用して、やりたいことを全部やってみようと思います。
人に頼って何が悪い
こんばんは。ワタナベことワタナベです。
毎日楽しくて仕方がありません。
会社を辞めて、良いことだらけです。
例えば
1 朝早起きしなくても良いから夜中まで音楽作ったりできる
2 通勤しなくても良い
3 面倒な人間関係から解放されている
4 時間の拘束がない
5 とにかく好きなことができる
6 何より働かなくて良い
といった感じで僕は好き放題しています。
生活費の問題ですが、昨日親にお願いして一ヶ月の生活費分お金を借りれることになりました。融資してもらうわけです。
いけませんか?恥ずかしいことですか?二児の父親がやるなんてどうかしてますか?
いやいや。
いいじゃないですか。助けてくれる人に頼って生きましょうよ。そもそもなんで人に頼っちゃいけないんですか?会社でも自分一人で物事を解決できる能力が評価されますが、何故なんでしょうか?
僕は今まで自分で言うのもなんですが、だいたいのことを一人で何とかしてきました。仕事でもそうです。自分が頑張って何とかしてきました。親のことで言えば、親に頼るなんて金銭的にほとんどしたことがありません。周りの人で、家を買う時に親から援助してもらったとか、結婚資金を親に出してもらったとか聞くと、自分には縁遠い世界の話だなと思ってました。
奥さんが長男を妊娠して働けなくなった時も、二人で稼いでいた生活費の足りない分を補うために本業の他にアルバイトをしてました。親にお金のお願いなんてしませんでした。
今住んでいる家を買う時も一銭も出してもらってません。僕と奥さんで何とかしました。
で、今もう頑張るのが嫌になって会社を辞めたのです。自分一人でお金を稼ぐプレッシャーと、誰にも頼れないプレッシャーに耐えられなくなったのです。
というわけで、今は開き直っているに近い状態です。
親なんだから、こんな時くらい助けてよとか思ってます。
別にいいじゃない。
ズルしてふてぶてしく生きていったって。
ま、そんな訳であと1カ月は好き放題やってゆっくりと体を休めることができます。
人に頼るって、カイカン!
あ、インスタやってます。是非こちらもご覧くだちゃい!
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完璧な人間を目指してる?
コニチハ、ワタナベです。
今日は朝から書きこもうと思います。
最近グータラ過ごしているので、なんか周りのことで気付くことが多いです。
あれ?みんな完璧な人間になろうとしてない?
国会中継とかニュースを観てそう感じました。ちょっとでも間違えたら謝罪謝罪。以前と言ってることがちょっとでも違ったら訂正訂正。
日本ってそういう文化なんでしょうか?なんか潔癖すぎませんか?
僕が生きづらいと感じる理由って、ひょっとしたらこの潔癖さなのかもと思いました。完璧であろうとするために生じる潔癖さ。
良識ある社会人としてとか、良き夫としてとか、頼れる父親としてとか、すべてこの潔癖さが原因の気がします。
人間はコンピュータではないので間違えもするし矛盾することも多々あります。でもそれを社会が許してくれない。いわゆる「あそび」がなさすぎると思うのです。一から十まですべて完璧じゃなきゃダメって感じがします。別に一のうち五くらいできてれば生きていける、というかそもそも一のうち一もできなくたって生きていけるのです。
間違えてしまう人を断罪する前に、なぜ間違えてしまうことがいけないのか?を考えてみた方が良いです。そうすると大概のことは別に間違えてもいいことであると気づきます。
僕はそんな風に思うので多分この先も会社みたいないわゆる社会ではやっていけないでしょう。
ま、いいじゃない!
最近ワガママが増している
こんばんは、ワタナベです。仕事を辞めて1日目が過ぎていきました。
今日は試しにレコード会社に音源を送ってみようと思いたち、ソニーとビクターとキングレコードとベルウッドレコードに送る書類と音源を準備しました。明日郵便で送ります。
会社というしがらみから解き放たれたせいか、ここ最近の僕は前にも増してワガママになっています。
なんか開き直りにも似たものがあって、もう仕事なんかしたくない!一生家で過ごしたい!音楽だけひたすら聴いたりやったりしたい!ということを平然と奥さんに言っています。
彼女の凄いところはそういうワガママの極致みたいなのを聞いても「いいんじゃない?やってみようよ。協力するよ!」ということをサラッと言ってしまうことです。あれ?あなたは菩薩ですか?とか思ったり、後光みたいなのを感じたりする今日この頃です。
大人だからとか、夫だからとか、父親だからとかそういった理由でみんな本当にやりたいことを我慢して生きているわけですが、それはなぜでしょうか?そもそもなぜそういった理由で我慢しなければならないのでしょうか?そんなのは誰かが勝手に決めたルールなのに。
今まで僕も上の理由で随分と我慢していました。今はその反動でもあるわけですが、もう一つ。
好きなことばっかりしてやりたいように生きたら駄目なのか?
ということを自分で検証してみることにしたのもワガママになっている理由の一つです。
今のところはっきり言って最高です。あと、僕が作った音楽も最高です。自画自賛。
昔の自信過剰?な自分が戻ってきた感覚です。楽しい。
自分の欲望を叶えてあげること
こんばんは、ワタナベです。
明日から会社には行きません。僕は自分のために生きていきます。
会社で働いていると、さもそれが当たり前のように思うことが沢山あります。明日からはそれを一つずつ検証してみようと思います。
手始めに、僕は自分の欲望をただ叶えてみようと思います。
自分の欲望。それは社会的にそれは駄目でしょ?ってことにとらわれず自分のしたいことを実践してみることです。
具体的には、働かないで好きなことをして家で過ごすことが僕の欲望です。心からそうしたいと思ってます。
多分、この欲望を手放しで叶えてあげないと前に進めないと思うのです。自分という人間を全肯定してあげることが、今の僕には必要なのです。
貯蓄が無いので、明日親に金銭のお願いしてみようっと。
別にいいじゃない!大人の男が、子どもがいる男が親に頼ったって!
さようならサラリーマン人生
どうもこんばんは、ワタナベです。
今日は会社の最終出勤日でした。色々ありましたが、最後は直属の上司にコーヒーをご馳走になりながら思い出を話したりしました。
不思議なもので、振り返ってみると様々なトラブルとかキツイ案件にまみれた日々も「まあそれはそれとしてなかなか楽しかったんじゃない?」なんて思えました。
というわけで明日から晴れてサラリーマンを卒業して好きなように生きていくわけですが、楽しみで仕方がないのです。
貯蓄が無いとか仕事を決めてないとか知ったこっちゃありません。今まで頑張ってきた分、明日からは自分の人生を生きるんだ!と強く決めています。
勝手にパパとママを応援する会を発足
こんにちは、ワタナベです。
会社に行く日も残り1日となりました。
最近、業務が減ったせいで色々考える時間ができました。それで、すごく色々考えるのです。
自分が本当にしたいことは何なのか?
ただ音楽を作ることなのか?
その音楽を誰に聴かせたいのか?
昨日の本質の話の続きになりますが、そこを突き詰めていったら分かりました。
この世界のすべてのパパとママをただ応援したいんだ。子どもがいるからって、自分の人生の夢を捨てたりしなくて良いんだって伝えたいんだ。音楽をしたいというのは、それを伝えるための手段なんだ。
そのためには、まず自分が身をもってそれを体現しなくてはならないって思います。この決意は固いです。
勝手にパパとママを応援する会を発足しました。初代会長は僕です。
僕はこれから積極的にパパとママにアプローチしていくつもりです。