ワクワクしてきたぜ

ワタナベです。

 

ミンネというアプリを使って自分の作曲した曲を販売してみようと計画してます。

 

必要なのは楽曲が二曲(シングル曲とカップリング曲)、CD-R、CDのケース、CDのジャケット、歌詞カード、アーティストのロゴです。

 

まず楽曲。実は僕は趣味でコツコツ宅録を楽しんでいたため、7曲ほど持ち曲があります。マスタリングも済んでいるのでその中から二曲を選べば解決します。

 

次にCD-RとCDのケース。これはもう単純に物理的にすぐ解決できます。電気屋さんに行けば即解決です。

 

CDジャケットと歌詞カードの前に、アーティストのロゴ。これは前から温めていたものがあるので、それに決定です。

 

さて、CDジャケットと歌詞カードです。自分で作成しても良いですが、せっかくなら誰かに依頼してみようと考えています。今の会社と違って何でも一人でできる必要はないので、思い切り外注してみたい気分です。僕の昔からの親友に絵が上手でセンスのある男がいます。彼にジャケットと歌詞カードのデザインを頼んでみようかなと検討しています。ただ、友達であっても何かをやってもらうからには何かしらの対価を支払う必要があると僕は考えているので、彼にとって何が価値ある対価なのかを考えて交渉してみようと思います。

 

この先、僕は外注を増やしてみようと思っています。もちろん友達だからといって妥協はしたくないし、だからこそしっかり対価を払っていきたいです。最終的には、僕がやっていることが僕以外の誰かと回せるようになったら楽しそうです。

 

こう考えてみるとなんだかワクワクしてきます。自分一人だと難しそうなことも、誰かとやろうと思うと途端にワクワクしてくるのです。

 

ちなみに僕のこの計画に必要不可欠な協力者は僕の奥さんです。彼女と一緒に何かを計画したりすることはとてもワクワクするのです。それは彼女も一緒で、だからこそ僕と奥さんはタッグを組んでるんだなと感じます。

ララランドを観ました

ワワワタナベです。

 

会社を辞める決意を伝えてから会社から猛烈に引き止められております。でも辞めます。

 

ララランドを観ました。素晴らしい映画でした。自分の夢を追い求めることの大切さ、それは時として悲しい選択をせまることがあるということ、そして信念に基づいた行動をとっていれば結果として幸せがあるということを伝えてくれる映画だったと思います。

 

この映画をこのタイミングで観たということは何かのメッセージではないかと感じます。この映画の主人公たちの生き方はとても勉強になります。成功はしたいが、自分の好きなことが必ずしも成功につながるとは限らない。しかしそれでも信じてやり続けることの大切さ。自分の夢を真摯に信じ、実行し、それによって起こるいかなることも受け止めていく覚悟。

 

今僕に必要なものがすべて入っていた気がします。

 

僕がこれから会社を辞めてしていくこと。

 

それは誰かに依存してその下で働くことではなく、自分で主体的に考え、自分の心の声に耳を傾けてそれを信じ、実行し、すべてを受け止めていくことです。

 

僕が向き合わなければならないものは音楽です。それに対してなら全力を注げます。愛情を注げます。

 

いわゆる会社員の人は、何を夢みたいなことをというでしょう。でも僕はやります。

 

そうしないと会社を辞める意味が、もっと言えば生きている意味がないのです。

 

 

昔の自分に戻るのさ

ワタナベです。

 

昨日会社を辞める旨を上司に伝えました。今日はそれを受けて、上の方で話し合いがされました。そして、社長から引き止められました。

 

でも僕の気持ちは変わりません。

 

この業界に入って10年くらいたちますが、沢山面白い経験をしました。ちなみに僕の今いる業界は港湾関係で、輸出入時税関に対する申告をする業者です。本格的に社会人としてやり始めたのもこの業界に入ってからです。それまではバンドで成功するという夢を追いかけていました。

 

たまに考えることですが、僕の人生はこの業界に入ってからと入る前で分かれると思います。それは主に自分の人格面と考え方についてです。

 

バンドをしていたころの僕は神経質ではありましたが、すごく適当な奴でした。今はそうでは無いと思います。もっとハッキリ言えば、今の僕はカタイ奴になったなと感じます。

 

今まで僕がブログで書いた事の中に、適当でいることの大切さという内容がありますがまさしくそれは今の僕に向けての内容だったようです。

 

この10年の間、仕事柄細かく確認し1つ1つ不明点をつぶしていくという作業を繰り返してきました。昔より難しい文章も読めるようになったし、パソコンの処理の腕前もあがりました。いわゆる会社員としてのスキルは上達したと思います。

 

ただ、ふと思うのです。幼少期の自分は空想の世界にどっぷり浸って何かを想像するのが好きだったこと。オリジナルの曲を作って鼻歌歌っていたこと。ギターを一日中弾いていたこと。音楽と映画の話をするのが大好きだったこと。

 

今の自分がまったく偽物とは思いませんが、自分の過去の性格を無視していたことは否定できません。つまり、本来の自分の姿からかけ離れたことをしていたということです。

 

だからここで一度昔の自分に戻りたいと思ったのです。小難しい理論や理屈なんかに縛られず自由に生きていたころに。知識や経験は増えれば増えるほど、何かをしようとする時の自由な考え方に対して足かせになります。

 

ここでその一切を捨てて、昔の自分みたいに音楽とかに没頭したいと思います。そうすることで、今の自分との折り合いをつけたいのです。ちょうど良い自分になりたいのです。

 

僕は会社員には向いていない。この事実にハッキリ向き合っている今こそ昔の自分に戻るチャンスなのです。

楽しいことを始める

ブルーマンデーのワタナベです。雨だし、電車は遅れるし、仕事は無駄に忙しいし、マジでやってらんねぇっす。

 

楽しいことを始めることが重要な時があります。

 

日々の忙しさの中で、自分は何を楽しみに生きていたのかとか、自分のワクワクすることがなんだったかがよく分からなくなってきた時がそういう時です。

 

そういう時は自分の心が弱っている時です。本当の自分がエネルギーを無くしている時です。

 

そういう時は他の何かをしていても集中できなかったり、力を注ぐことができません。本当の自分が分からなくなって、ひどく弱々しい気分になっているからです。

 

そういう時こそ、自分が心から楽しめることをしなければなりません。

 

僕は今そういう状態です。体力的にも精神的にもクタクタです。だからやらなきゃいけません。ギターを弾いたり、歌を歌ったり、散歩をしたり、とにかく自分が心から楽しいと思うことをしてエネルギーを取り戻さなければなりません。

「できない」を言ってみた

フライデーナイトはパーリナイのワタナベです。

 

今僕は会社で岐路に立っていると感じています。

 

僕が現在抱えている仕事を、正直もう頑張れません。業務が多過ぎてパンクしている状態です。この仕事は、代々担当者がパンクしているものでした。僕も例外なくそうなったわけです。死ぬほど沢山ある業務内容を一人でこなさなければならず、フォローもまったく無いものです。

 

なので、今日部署の会議で「もうこれ以上頑張れません」と言いました。本当にこの通り言ったのです。仕事を分担してもらわないとこれ以上無理ですと言ってみました。当然、じゃあ解決策をということになりましたが、それは現在の業務を回せるようにはどうすれば良いかということでした。そうでは無いのです。体制を変えたいのです。業務分担をしたいのです。回せるようにしたいのではないのです。自分の仕事を減らしたいのです。

 

なので、それはもうハッキリと言いました。

 

「そういうことじゃないんです。この仕事量だともう頑張れないんです。」

 

僕が思うに、弱者は時に強者でもあります。自分の弱い部分を認識できている人は包み隠さずそこを口にできます。僕はそれを実践してみたのです。みんなが辛くても口にできないことを、会社で隠している自分の心をさらけ出してみました。

 

今後、業務について話し合われることになります。それによって僕はいよいよ身の振り方を考える必要があるでしょう。

 

忍耐を美徳と感じ、ストレスを溜めながら働く時代は終わったと思います。忍耐することは自分にとって悪だということに気付かなければ過労で倒れるのを待つだけです。

 

だからこの先も、僕は「できません」と我慢することなく言っていくつもりです。

向き不向きの話

今日も帰りの電車でブログを書く、自称ワタナベことワタナベです。

 

人には向き不向きというものがあります。それを認識して生きていくのとそうでないのとでは、人生の楽しさが変わってくると思います。向き不向きというのは、その人個人の才能に由来します。ここでいう才能というのは特別な才能のことを指すわけではなく、国語より算数の方が得意だという次元のもので良いです。また、この才能にはもともと持ち合わせている気質とか性格といったものも含みます。要は後天的に決まるものではなく、先天的に受け継いだもの、すなわち親からの遺伝に由来するものということです。

 

こういう話になると、救いようがないように感じるかもしれません。どんなに頑張っても才能には敵わないということだからです。しかし、それはハッキリ言ってそうだと思います。歌が下手な人はどんなに頑張ってもオペラ歌手にはなれないし、算数が苦手な人は数学者にはなれないのです。だからこそ、自分の向き不向きを認識して生きた方が良いのです。確かに100メートル走の選手を目指している人が自分の才能の無さに気がついた時は人生に絶望するかもしれません。しかし、それも向き不向きを認識するうえで最高の機会なのではないでしょうか。

 

僕は才能のない部分を伸ばそうと頑張っても無駄だと思います。よく経験値がカバーしてくれるということを言う人がいますが、才能ある人を超えることは決してできません。100メートルを20秒かかる人がどんなに頑張って練習しても9秒で走ることはできないのです。

 

才能を明確に理解することは難しいですが、その一端を感じることはできます。例えば、努力しなくてもすんなり出来たこととか深く考えなくてもすぐ理解できる分野なんかは向いている、つまり才能がある場合が多いです。そういったことに取り組んでいる時はきっと楽しいと感じるはずです。逆に頑張ってもなんとかならないこと、いくら考えても理解できない分野は才能が無い部分でしょう。取り組んでいても苦痛を感じるはずです。

 

向いていることに力を注ぎ、そこを突きつめていくと間違いなく人より上達します。最初はつまらなくても、そのうちに楽しくなります。なぜなら苦労しなくてもすんなりと思うようにこなせるからです。

 

僕の場合は向いていることはギターを弾くことです。ハッキリいって最初からほとんど弾けました。周りのギターやってる友達なんかあっというまに追い抜きました。苦労なんて感じたことがありません。何かをひたすらやるという才能が多分僕にはあって、ギターを弾くのはそれを活かせる分野なのです。向いていないことは接客とか営業とかです。これに関しては、もう絶望的だと分かっています。人付き合いが下手というわけではなく、人をおだてたり下手にでたりすることに関しててほぼまったく才能を感じません。そんなことをしたりすると死にたくなります。

 

そんなわけで、僕は仕事はなるべく専門的なものを選びました。接客や営業は死んでも選びません。

 

ちなみに趣味で取り組むなら向いてないことでも構わないと思います。その人が好きでやってることに口出しは無用です。ただ、向いてないことをやったりすると周りに気を遣わせたり迷惑をかけることがありますので注意が必要です。

 

 

ブログを書いていると

また雨雨雨!雨の日は本当にテンションがだだ下がりです。バスは遅れるし、座れないし、人は多いし。

 

ワタナベです。

 

ブログを書いていると感じることがあります。それは自分がどんな考えを持って生きているかを客観的に認識できるようになるということです。

 

いつも自分の中に溜め込んでいるモヤモヤした想いや、うまく言えないことなんかをブログを書くことでハッキリと認識できるようになります。可視化することは大切なことなのだと分かります。

 

なので僕にとってブログは心というか、思考というかの整理の場所なんだと思います。必ずしも書くことで解決されるわけではありませんが、それでも溜め込んでいるよりは随分ラクです。僕の場合マイナスの考え方に基づく書き込みが多いですが、それでも書くことによって自分の中の何かを消化できているという感じがします。

 

内面を吐露する場所は誰にでも必要だと思います。それは人であっても良いだろうし、日記みたいなものでも良いと思います。僕の場合はブログなんだなと思うわけです。

 

帰りの電車の中で今日一日を振り返り、その日自分が感じたことや前から感じていたことを整理してブログに書く行為は僕にとってとても大切なこととなっています。

 

サンキュー、ブログ!