なんでも1人でやろうとする

おはこんばんちは。ワタナベです。

 

昨日は夜遅くまでギターを弾いていたので今日は寝不足でした。一日中あくびをしてました。

 

最近、かわいそうだと思う人がいます。それは、なんでも自分1人で抱えこんでしまう人です。なんでも「自分1人で解決しないといけない」と思っているような人を見ると、とても悲しい気持ちになります。

 

自分がそうだったから分かるのです。なんでも自分1人で解決しないと、自分の存在価値が保てないのです。人に手伝ってもらおうものなら、自分の存在価値は急降下です。本当はそんなことないのに。

 

だからそういう人を見ると、昔の自分を見ているような気がするのです。

 

昔、会社の上司から「見ていてしんどいよ。もっと手伝ってもらいな。」と言われたことがあります。その人も当時の僕を見て、きっと今の僕と同じ気持ちになったんだと思います。

 

そして、なんでも1人でやろうとすることの裏には「自分のやり方でやりたい」というエゴも潜んでいます。誰かに手伝ってもらって問題が解決しても、後処理が面倒くさくなったりするのが嫌なので自分で全てやろうとするのです。言いかえれば、人のやり方を尊重していない、つまり人を信用していないということです。

 

僕は昔、そのタイプの人間だったのでその思考が手にとるように分かります。だから、かわいそうに感じてしまうのです。1人で抱えこむつらさと、人を信用できない心に対する悲しみです。

 

本当はどんなことでも誰かの手を借りた方がはるかに早いし楽なのです。だから、それに早く気がついて欲しいです。こればっかりは自分で気がつくしかありません。人が幾ら言ったところで、自分の存在価値に対する認識と人を信用できないことを改めなければ無駄なのです。

 

話は少しそれますが、このタイプの人間は人に対して断ることができません。行きたくない旅行のお誘いなんかも、行きたいです!とか笑顔で答えたりします。断ると人に嫌われるんじゃないかという心配があるからです。それも言わば、自分の存在価値の低さと人を信用できないことが原因です。お誘いを断ったくらいで自分の存在価値は下がらないし、人に嫌われたりはしません。万が一それで嫌われたからって、だからどうだと言うのでしょうか。

 

話が脱線しましたが、自分1人が抱えこむことは周りの人間にしんどい思いをさせることになりますし何より自分が1番しんどいです。だから、みんな人に頼りまくって生きるべきです。自分1人でやれることなんてたかが知れてることを認識すべきです。

 

胸を張って「助けてちょ」とか「手伝ってちょ」と言いましょう。

不器用なやつはカッコイイ!

シンプルにこんばんは、ワタナベです。

 

今日はいきなり書き始めようと思います。

 

僕は不器用なやつはカッコイイ!と思います。

 

僕にはギターヒーローが2人います。邦楽と洋楽で1人ずつです。

 

まず、邦楽はアベフトシです。もはや伝説として語られるようになったミッシェル・ガン・エレファントのギタリストです。間違いなく初期から中期にかけてミッシェルの音楽性を体現していたのはアベのギターです。細かく刻まれる常軌を逸しているようなカッティングギターにやられた人は多いはずです。

 

洋楽ではジョン・スクワイアです。こちらもイギリスのマンチェスターの伝説、ストーン・ローゼズのギタリストです。ファーストアルバムで聴けるバーズ直系の煌めくアルペジオギター、中期・後期のファンキーかつブルージーなギター、どちらをとっても最高です。

 

さて、この2人、大好きなのですが不器用な感じが満載です。

 

アベフトシはミッシェルの後期には、明らかに浮いていたと思います。初期・中期から変化した後期の音楽性に、彼のギター的な主張はほぼ見られません。それはおそらく彼の追い求めるロックとバンドの方向のズレが原因であって、それに自身のギターをシフトできなかったのだと思います。もしかしたら、したくなかったのかもしれません。

 

ジョン・スクワイアも、ローゼズ脱退後幾つかのバンドを結成しては解散しを繰り返し、結局ソロでやってもうまくいかず画家くずれみたいな状態でした。幸いにもローゼズは再結成したため、再びギタリストとして復活できました。

 

彼ら2人は、テクニック的には下手な訳ではありません。ですが、ハマるバンドが1つしかないという意味で不器用なギタリストと言えるでしょう。アベなら、初期・中期のミッシェル、ジョンならオリジナルメンバーのローゼズ。他のバンドでは成立しないギターなのです。

 

そこがカッコイイ!

 

世の中上手いギタリストは沢山います。テクニックだけをとったらアベやジョンを遥かに上回る人はいます。しかし、彼らのギター無しでミッシェル、ローゼズは成り立ちません。他の「上手い誰か」では、別のバンドになってしまうのです。

 

ジャズやファンクなんかを聴いていると、沢山凄い演奏に出会います。カッコイイと思うフレーズもあったりしますが、そこまでです。僕にとって本当にカッコイイと思えてグッとくるのは、何かに特化している雰囲気であって、もっと言うと、それは「バンド専用」になっているギターなのです。色々な引き出しのあるギタリストよりも、「バンド専用」の演奏しかできないギタリストの方が僕にとって遥かに魅力的なのです。

 

これは他のことにも適用されます。ざっくり言うと、色々できるやつより狭くても何かに突き抜けてるやつの方がカッコイイということです。

プラスのエネルギーのアザーサイド

風邪をひくといつも咳がひどいワタナベです。

 

平熱が35.7度しかないので、風邪をひくとなかなか治りません。体温を上げるように生活習慣を改めるしかありません。

 

少し前に、マイナスの感情をエネルギーに変えることについて書きました。その延長で、プラスのエネルギーについて書こうと思います。

 

人間には2つの種類があって、ひとつは僕のようにマイナスの感情を糧にして生きる人、もうひとつはプラスの感情を糧に生きる人です。この後者のプラスの感情というのは実にややこしい感情だと思います。プラスの感情のエネルギーというのは、時に周りにいる人にとって害になったりキツかったりするからです。

 

例えば自分の私生活や仕事がうまくいっていないときに、結婚式のお誘いや仕事絡みの飲み会のお誘いなんかを受けると正直キツイのではないでしょうか。幸せのエネルギーや、建設的なエネルギーというのは必ずしも人に元気を与える訳ではないのです。

 

僕にはとても仲の良い友達がいました。彼とは独身時代良く遊んだし、勿論就職した後もそして結婚した後もちょくちょく飲んだりしてました。

 

しかし今は疎遠です。なんか避けられているのです。ひょっとしたら、僕は彼にとって会いづらい存在になっているのかもしれません。結婚し子どもが生まれ家を買う。こういったいわゆる社会の「当たり前」みたいなことをしている僕は、彼にとって会いたくない人になってしまったのかもしれません。なぜなら、この「当たり前」のことはプラスのエネルギーの性質を持っているため、そうではない人にとってはキツイことがあるからです。

 

僕は今でも彼のことを親友と思っています。だからとても悲しいです。

 

僕自身はマイナスの感情を糧にする人間ですが、僕のステータスはプラスのエネルギーの側にいます。だから仕方ないことなのです。悲しいけど、時間が解決してくれるでしょう。

 

プラスのエネルギーの持つマイナスの側面に気がつくまで僕は結構辛い思いをしました。なんであんなに仲良かったのに避けられるんだろう?と悩みました。ですがこの側面を認識したことで少し楽になれました。

 

きっと完璧にプラスのエネルギーとか完璧にマイナスのエネルギーというのは存在せず、それぞれ正反対の側面を持っているのでしょう。その側面を認識したうえでコントロールするようにすれば、もっとうまく生きていけるに違いありません。

 

 

 

 

よく壊す人

こんばんワイン。ワタナベです。

 

ついに新しいギターを手に入れました!最高です!昨日は弾きまくりました。奥さんと一緒に歌ったりしました!

 

突然ですが、僕はよく物を壊します。壊すというのは完全に壊してしまうってことにプラスして、傷つけてしまうってことも含めます。 

 

ギターを購入した日、大切にギターを背負って車まで移動しました。ほかの荷物とともに車に積み込む作業中に、ギターを車のバックドアにぶつけてしまいました。幸いソフトケースの上からぶつけたので傷がついたり壊れたりするのは避けられました。

 

その時に思い出したのです。自分が「よく壊す人」だということを。

 

僕という人間はとても不注意な人間なのです。

 

ものを大切にする割にはその扱い方に不注意な部分があります。

 

以下は僕のやらかしたことです。

 

・高校の時、買ったばかりのギターを床に落として壊しました。

・初任給で買った高いビジネスシューズを床の段差にこすり、傷がつきました。

・奥さんから誕生日にもらった時計をドアにぶつけて修理にだしました。

・初めて買った車のホイールを路肩にすりました。

 

あげればキリがありません。すべて僕の不注意が原因です。

 

それなのに壊したり傷つけたりしてしまうと、尋常じゃないくらい凹みます。いつも奥さんに呆れられます。

 

多分、僕は正しい自己認識ができていないのだと思います。つまり、僕は自分のことを「ものを丁寧に扱う人」と認識しているのです。実際は不注意が沢山の人なのに。そしてもっと言うと、どこかで自分のことを「ヘマをしない奴」として認識している気がします。仕事でもよくそれを感じます。自分では完璧と思っていても抜けがあるのです。世の中には完璧に近い仕事ができる人もいます。そういう人は、だいたい不注意なことをしません。僕は不注意な人間のくせに「そっち側」にいようとしてしまうのです。

 

話を戻します。僕は不注意で「よく壊す人」なのです。それなのに、買った時の状態をキープしようとするから苦しむのです。

 

ギターをぶつけて凹んでいる僕に、奥さんが言いました。

 

「あなたも私もお金がかかる人なんだよ。やらかしてしまう人なんだよ。」

 

いかにも彼女らしい考え方です。等身大の自分を見つめれないと、こういった開き直った意見は持てません。彼女も確かに「よく壊す人」です。でも僕とは違い、サッパリしています。壊したことをいつまでも引きずらない。ひょっとすると内心は引きずっているのかもしれませんが、見た目はそうは見えません。

 

僕ももっと自分を見つめてみる必要があります。奥さんみたいにはまだ当分は無理ですが、自分がやらかしてしまう人と認識できれば、この凹みのスパイラルからいつか抜け出せる気がするのです。

日本人は平均が大好き

金曜日です。早く、早く帰りたい気持ちのワタナベどす。

 

明日、ついにエピフォンのカジノ(ギター)を手に入れます。嬉しくて小躍りしたくなります。

 

今日のテーマはすごく毎日思ってることです。日本人という人種は本当に平均が大好きです。人と同じようにとか、みんなそうしてるからとか、とにかくはみ出さないようにするのが大好きなのです。その典型が会社というもので、目立たずなるべく控えめに自分の能力を人より少しだけアピールする。できなすぎても駄目で、だからといってすごいできすぎても駄目。まさに平均が1番良いとされる場所です。

 

僕はなぜか目立ってしまうタイプの人間だと思います。能力が人よりもあるとか、ないということではなく、多分協調性が無いからだと思います。協調性が無い僕は、普通なら言わないことも平気で口にしますし、そういう態度もとります。だから、特に会社では「浮いた」存在として目立ちます。今の会社の前の会社を辞める時、世話になった上司から、「会社で生きるならなるべく目立たないようにしろ」という旨のアドバイスをもらったことがあります。その人の教訓だそうです。僕はその教えを胸に秘め、今の会社に転職したのですが、やはり駄目です。そういう風に人間ができていないのです。

 

でも、最近は開き直っています。「どうやったって目立っちゃうんだから、目立たないようにするのはやめよっと」と思って生活してます。そのせいなのか、いわゆる平均的なことを好む人に対して、最近激しく嫌悪感を抱きます。

 

そういう人は、すぐに分かります。少しでも人と違う人には「なにしてんの?」みたいな態度をとるからです。

 

例えば電車。子どもが大きい声で泣いたりしてると、これみよがしに嫌な顔するやつとか、その泣いてる子をジロジロ見るやつとか。吐き気がします。見せもんじゃねえっつーの!

 

平均的な人達はヒエラルキーで上の方にいることがあります。それは、そういう人達は平均的であることを拠り所として徒党を組みたがるからです。そして、平均的から外れる人を排除して、上に立とうとするのです。

 

そもそも「平均」って、ただ単にそのエリアの総数が多いだけのことです。身長とか体重とか、それくらいの値の人がただ多いってだけです。

 

だから、2メーターある人を巨人症とか言ったり、1メーターしかない成人を小人症とか言うのには嫌気がさします。そりゃ、こんだけ人がいれば色んな人がいるでしょ。平均から外れた途端に病気だとか、異常だとか言い始めるなんて馬鹿みたいです。少しは自分の頭で考えてみんかい!って言いたいです。

 

少し熱くなって怒りを書いてしまいました。帰ってビールでも飲んでクールダウンしようと思います。

弱音を見せないお父さん達

完全に風邪をひきました。咳ゴホゴホのワタナベです。

 

いきなりですが、僕の奥さんのインスタが面白いです。写真も文章も、とにかく「センス」を感じます。僕も一時期奥さんに影響されてインスタをしてましたが、続きませんでした。まず何よりも「楽しむ」ということができませんでした。奥さんはいつもインスタを楽しんでいるように僕には見えます。だからこそ、あんなに面白い仕上がりになるのでしょう。

 

さて、今回はそんなインスタのことについて書こうと思います。インスタの記事で、僕が好きなのは家族に関するものです。写真も子どもとか赤ちゃんの写真みると、柄にもなく「はー、可愛いかねえ」と癒されるのです。

 

しかし!

 

インスタに登場するお父さん達の投稿が、正直キツイです。なにがって、いわゆるリア充っていうんですか?そういう感じの香りがして、読むことができません。「インスタってそういうもんでしょ?」と言われればそれまでだということは分かってます。

 

特にキツイのが、子どもと楽しい時間過ごしました系の記事です。自慢じゃありませんが、僕はそんな風に子育てできません。そういう記事を見てると、自分がひどく惨めに思えてしまうのです。

 

この感覚、以前も体験したことがありました。

 

子育てに関する本で父親が書いたものを読んだ時の感情と一緒。僕が求めているのはお父さんの本心の「弱音」を書いた本なのですが、そんな本にはまだ出会ったことがありません。なんていうか、「マジで全然うまく子育てできねえっ!」っていうことを言うお父さん達がメチャクチャ少ない。とにかく子育て系の本を読んでいると、どんどん自分が駄目な気がして、滅入ってくるのです。いつからか、そういう本を読むのはやめました。

 

それと同じ感覚です。

 

なぜなの?みんな、世の中のお父さんはすべからく子育て上手なわけ?それともインスタにそういうお父さん達が集中してるってだけなの?

 

僕はもっとお父さん達の「弱音」を聞きたいです。うまくいったこと、成功の話を聞いても全然面白くありません。そうじゃなくて、「子育てが全然うまくいかねえし、面白くねえっ!」って本音を聞きたいです。それを口にだすことによって見える世界もあるんじゃないかって思うんです。

 

お父さん達は強く弱音なんか言わない生き物じゃないはずです。社会で生きていくうちに、嫌な上司や、客とうまくやるために自分の本音を隠して生きているだけなんです。弱音は家族や周囲には漏らさず自分の中に隠して、たまに同僚と飲んで愚痴を言うことでやり過ごしているだけなんです。本当はうまくいかないことや、嫌なこと、やりたくないこととかがいっぱいあるんです。ただ、言わないだけなんです。

 

だから、今こそ、そういう弱音をあえて言っていきたいです。お父さんだって、完全無敵の存在じゃないんですから、辛い時は泣いたり、言い訳したり、とにかく弱音を吐いていこうよっ!って思います。

 

あー、子育てがうまくできねえ!

マイナスのエネルギーを力にする

咳が出始め、なにやら体調的に怪しくなってきたワタナベです。

 

日に日に秋が深まります。1年で1番好きな季節に風邪なんかひいてられません。失せろ!風邪菌!

 

スターウォーズという最高の映画があります。フォースを使って、光と闇の戦いが描かれます。超有名な悪役、ダースベーダー。彼はもともと光のジェダイだったにもかかわらず、自らの私的な欲求に負け、ダークサイドへ堕ちてしまいます。そして、最終的に光のジェダイである自分の息子に倒されるのです。

 

いつもマイナスの感情や、それに起因するエネルギーは良くないものと考えられてます。でも果たしてそうでしょうか?

 

人間には2種類いると思います。プラスの感情をエネルギーに変える人と、マイナスの感情をエネルギーに変える人です。本当はそうだと思うんです。なのに、世の中ってそういう風にできてません。プラスの感情をエネルギーに変えることの方が建設的みたいなイメージがあります。

 

僕は完全に後者です。マイナスの感情が凄まじいため、それをエネルギーに変える方が効率的です。

 

良く間違えを指摘された時に「ご指摘ありがとうございます」みたいなことをいうやつがいます。僕はこういうタイプは信用しません。嘘臭くて仕方ないです。「うるせえ!何くそっ!」っていうマイナスの感情を無理やりプラスの感情に変換しようとしてる気がしてなりません。そういうやつは、たいしたエネルギーを生み出せません。僕はそういう時、なるべく自分の感情に忠実にいます。会社だからとか、そういうのは関係ないです。つまり「機嫌が悪く」なります。社会人失格です。間違いを指摘されるのは僕にとってプライドを傷つけられることなので、マイナスの感情が半端じゃなく強まります。そしてそのおかげで、「間違えを指摘されるのに耐えられないから間違えないようにする」という、マイナスの発想でエネルギーを作って仕事してます。

 

「ご指摘ありがとうございます」とか言うやつは「この失敗をバネに頑張ろう!」みたいなプラスの発想で頑張ろうとするわけですが、そもそも心底そう思ってるわけないと天邪鬼の僕は思います。そして、本来の感情をエネルギーに変換する過程で歪めてしまうと、変換できるエネルギーが減ってしまいます。

 

そう考えると、正しくエネルギーに変換できるなら、それがどんな感情に起因していようが構わないのではないでしょうか?つまり、起因するのがプラスの感情か、マイナスの感情かなんて、どーでもいいわけです。

 

スターウォーズではダースベーダーがダークサイドに堕ちるまでが細かく描かれています。それを観れば、マイナスの感情を優先することが間違えているとかは簡単に言えなくなります。マイナスの感情でも、立派な自分の感情なのです。それを無視する方が、自分にとってよほど間違った行為だと思うのです。